地裁が泣いた悲しい事件。息子が母親を殺害・・・息子が抱えた苦しみ、親子の愛に涙が止まらない。

2016/3/12 | 59,813 PV |

泣ける・感動

 
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2006年2月。京都市伏見区の桂川で、区内在住の男性が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、そして自身も死のうとしたが未遂に終わったという事件が起きました。

 
 

京都認知症母殺害心中未遂事件

 

認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。

 
被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され、なんとか一命を取り留めた。

 
被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。
その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護する事に。

 
母は05年4月ごろから昼夜が逆転し、徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。

 
被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。

 
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。

 
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。

 
区役所にも既に3度相談していたが、いずれも良いアドバイスは得られなかった。
「生活が持ち直せるしばらくの間だけでも生活保護を受給できないか」と相談したこともあったが、「あなたはまだ働けるから」と断られている。

 
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなった。
生活費に窮するようになった被告は、自分の食事を2日に1回に減らし、母親の食事を優先した。

 
こういった苦しい状態になると、人は普通親類なり友人なりに頼るものである。しかし被告はそうはしなかった。
その心にはいつまでも父親が生前言っていた言葉が去来していたからだ。

 

「人に金を借りに行くくらいやったら、自分の生活をきりつめたらいいのや」
「他人に迷惑をかけたらあかん」
「返せるあてのない金は借りたらあかん」

 
そして、苦悩の末、06年1月31日に心中を決意した。

 
 

「最後の親孝行に」

 
被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市の河川敷で
 

「もう生きられへん。此処で終わりやで。」と言うと、
母は「そうか、あかんか。○○、一緒やで。」と答えた。
 
被告が「すまんな」と謝ると、
母は「こっちに来い」と呼び、被告が母の額にくっつけると、
母は「○○はわしの子や。わしがやったる」と言った。

 
この言葉を聞いて、被告は殺害を決意。

 
母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

 
 

冒頭陳述の間、被告は背筋を伸ばして上を向いていた。

 
肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

 
裁判では検察官が 被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。

 
殺害時の2人のやりとりや、

 
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」
 
という供述も紹介。

 
目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 
裁判の中で被告は、

「私の手は母を殺めるための手だったのか」

と言葉を残した。

 

それを聞いた裁判官の判決はどのようなものだったのか。次のページへ。

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