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2016/4/17 | 2,782 PV |

泣ける・感動

出典:mag2.com
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ウズベキスタンの地に咲く『追憶の桜』の理由には、日本人と地元民との感動のストーリーがあった

旧ソ連の雰囲気が色濃く残るウズベキスタンの地に、多くの日本人抑留者たちが眠っていることをご存知でしょうか。
春になるとこの日本人墓地の周辺は美しい桜で埋め尽くされます。
 
無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、シベリアに抑留され、ウズベキスタンで強制労働に従事していた日本人と地元の方々の感動のストーリーが紹介されています。

 
 

ウズベキスタンの桜

 

中央アジアの内陸部にあるウズベキスタンの首都・タシケントに、1,500人の観客を収容する壮麗なレンガ作りのナヴォイ・オペラ・バレエ劇場がある。
1966(昭和41)年4月、震度8の大地震が市を襲い、市内の建物の2/3が倒壊した中でも、この劇場はびくともせず、市民の避難所となった。
 
劇場の外壁にはプレートがはめ込まれ、ロシア語、日本語、英語、ウズベク語でこう記されている。

 

1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。

 

劇場周辺の庭には染井吉野や枝垂れ桜、八重桜など30本の桜が植えられ、春には美しい花を咲かせる。
ナヴォイ劇場だけでなく、タシケント市の中央公園にも600本の桜が植えられ、「さくら公園」と呼ばれている。
さらに、そこに通じる大通りに250本、大統領官邸にも100本の桜が植えられている。
すべて日本から苗木を空輸し、日本人の造園の専門家がついて、ウズベキスタンの人々が植樹したものだ。
 
今回は、ウズベキスタンに、なぜこれほどの桜が植えられたかを辿ってみよう。

 
 

「なんとか、日本人のお墓を整備してもらえないだろうか」

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出典 photoAC

 
 

事の発端は、2000(平成12)年10月19日夕刻、ナヴォイ劇場とその前庭広場で「日本の祭り」が開かれた時だった。
当時の在ウズベキスタン大使・中山恭子氏が同国の伝統音楽や、宮崎からやってきた親善訪問団による「木剣踊り」などを見ていると、訪問団の2人が大使に相談したいことがあると言ってきた。
 
その1人、池田明義さんは戦後、シベリアに抑留され、ウズベキスタンのベカバードという場所で強制労働に就いていた。
そこには一緒に働いていた仲間のお墓があるはずなので、ぜひ墓参りがしたい、という。
 
中山大使は急遽、タクシーや通訳の手配をして案内させた。翌日の夕方、池田さんは戻ってきて、大使に報告した。
「自分達が作った水力発電所は今も立派に動いている。でも、お墓に行ったらとても悲しかった。ベカバードの日本人墓地は、荒れ果てたままになっている」と唇を噛み締めていた。そして「なんとか、日本人のお墓を整備してもらえないだろうか」と言い残して、日本に帰っていった。
 
その後、すぐに中山大使はベカバード市を訪れた。市長のジャロリジン・ナスレジノフさんが、まず水力発電所に案内してくれた。
シルダリアという大河から水を引いて大きな貯水湖を作り、そこから6~7本の太いパイプで水を落として発電する、という巨大な発電所である
。水力発電所は赤レンガ作りの立派なものであり、貯水池も向こう岸が霞むほどの大きなものだった。
ベカバード市長は、案内しながら、こう話してくれた。

 

ベカバードはこの発電所が建てられた当時砂漠でしたが、この発電所や運河のおかげで今は緑豊かな大勢の人が住む町になりました。
 
ここで風速50メートルを超える突風が吹いた時にも、周辺の建物は全て壊れてしまいましたが、この水力発電所だけはビクともせずに動いていました。
55年間、毎日、1日も休まずウズベキスタンに電力を供給してくれています。

 
 

<<中山大使が立ち尽くしてしまった光景と、現地の方々の思いとは>>

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