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「会いたい、話したい、無性に」特攻隊員の若者たちが愛する家族へ宛てた遺書

2016/8/14 | 50,631 PV |

泣ける・感動

 
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1945年8月15日の戦争終結から、今年で71年が経ちました。

 

第二次世界大戦下の日本では、多くの若者が戦地に駆り出され、若く尊い命を投げ出し捨て身の攻撃をし、その多くが短い生涯を終えました。
この記事を読んでくださっている方のお身内にも、戦争で命を落としたご家族を持つ方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

特攻隊のような自爆攻撃に身を投じようとする若者が、愛する家族に向けて残した遺書をご覧いただきたいと思います。

 
 

茂木少尉 19歳 『母への遺言』

 
 

僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。お母さん、良く顔を見せて下さい。

 

しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。

 

十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。

 

お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。

 

それが僕の別れのあいさつです。

出典 YouTube

 

神風特別攻撃隊 第5神剣隊
茂木三郎少尉
昭和20年5月4日 沖縄周辺にて特攻戦死 19歳

 
 

海軍中尉 小川 清「両親への遺言」

R.さん(@r_x1116x)が投稿した写真

 
 

お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃する事になりました。

 

思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育った事を考えると、感謝の念で一杯です。全く自分程幸福な生活をすごした者は他に無いと信じ、この御恩を君と父に返す覚悟です。

 

あの悠々たる白雲の間を超えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は一度は死するもの、悠久の大儀に生きる光栄の日は今を残してありません。父母様もこの私の為に喜んで下さい。

 

殊に母上様には御健康に注意なされお暮し下さる様、なお又、皆々様の御繁栄を祈ります。清は靖国神社に居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。

 

清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

出典 YouTube

 

昭和20年5月11日
南西諸島方面にて戦死(空母バンカーヒルへ突入) 24歳

 
 

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