『喪服に黒タイツはマナー違反』 謎マナーを、僧侶が一刀両断 By - grape編集部 公開:2020-11-07 更新:2020-11-07 マナー葬儀 Share Tweet LINE ※写真はイメージ ビジネスマナーやテーブルマナーなど、世の中にはさまざまな『マナー』が存在します。 本来マナーとは、人との関係性や物事の進め方、さらにはその場の秩序を守るためにあるもの。 しかし、近年では思わず首をかしげてしまうような『謎マナー』なるものも出ているといいます。 例えば、2019年頃にネット上で話題を呼んだ「とっくりでのお酌は注ぎ口を使ってはいけない」というマナーは、「何それ?」「捏造するな」などと議論を呼びました。 そして2020年、『喪服に黒タイツはマナー違反』に対して異を唱えるツイートが投稿され話題になっています。 現役の僧侶がコメント 冠婚葬祭には身なりや所作など、さまざまなマナーがあります。 話題となった『喪服に黒タイツはマナー違反』は、タイツはカジュアルすぎるから…という理由からだそうで、同様のマナーを紹介するサイトも確かに存在します。 喪服のタイツ論争がネット上で白熱する中、日蓮宗の六尺法師(@6SYAKU_HOUSHI)さんの投稿が注目を集めました。 僧侶として申しますと、タイツのデニールがいくつだろうと全く問題ありませんのでご安心下さい。お決まりの「マナー講師こと失礼クリエイター」さん方の余計なお世話です。無視して下さい。これからの季節は冷えますので、ぜひ暖かいお召し物でご参列下さい。寒そうだと仏さまも心配されるでしょう。 — 六尺法師|本朝沙門日眼 (@6SYAKU_HOUSHI) November 3, 2020 「仏事の多くは儀式ですので、最低限のマナーは必要でしかるべきですが、それ自体が『苦』になってしまってはいけません」と語る、六尺法師さん。 『喪服に黒タイツはマナー違反』に異を唱える投稿が目に留まり、僧侶という立場上「そんなマナーは、ない」という思いから自身の意見を発信するに至ったのだと、六尺法師さんは続けます。 お寺側、僧侶側から、今回のような『出所不明のマナー』は不要だとはっきりと伝え、女性に限らず、多くの人が仏事で感じている『苦』がなくなればと思います。 そう語る六尺法師さんの投稿は、冠婚葬祭時の『謎マナー』に悩む人たちの共感を呼び、「ありがとうございます」「僧侶の人が。もっと広めてくださったら大変助かります」と感謝のコメントが続々と寄せられています。 『謎マナー』のように、自分の行動が制限され、かえって窮屈な思いをするようでは本末転倒。 マナーが求められる意味はなんなのか…六尺法師さんの投稿は、改めてその理由を考えるきっかけになったのではないでしょうか。 出典grape/@6SYAKU_HOUSHI Share Tweet LINE
ビジネスマナーやテーブルマナーなど、世の中にはさまざまな『マナー』が存在します。
本来マナーとは、人との関係性や物事の進め方、さらにはその場の秩序を守るためにあるもの。
しかし、近年では思わず首をかしげてしまうような『謎マナー』なるものも出ているといいます。
例えば、2019年頃にネット上で話題を呼んだ「とっくりでのお酌は注ぎ口を使ってはいけない」というマナーは、「何それ?」「捏造するな」などと議論を呼びました。
そして2020年、『喪服に黒タイツはマナー違反』に対して異を唱えるツイートが投稿され話題になっています。
現役の僧侶がコメント
冠婚葬祭には身なりや所作など、さまざまなマナーがあります。
話題となった『喪服に黒タイツはマナー違反』は、タイツはカジュアルすぎるから…という理由からだそうで、同様のマナーを紹介するサイトも確かに存在します。
喪服のタイツ論争がネット上で白熱する中、日蓮宗の六尺法師(@6SYAKU_HOUSHI)さんの投稿が注目を集めました。
「仏事の多くは儀式ですので、最低限のマナーは必要でしかるべきですが、それ自体が『苦』になってしまってはいけません」と語る、六尺法師さん。
『喪服に黒タイツはマナー違反』に異を唱える投稿が目に留まり、僧侶という立場上「そんなマナーは、ない」という思いから自身の意見を発信するに至ったのだと、六尺法師さんは続けます。
お寺側、僧侶側から、今回のような『出所不明のマナー』は不要だとはっきりと伝え、女性に限らず、多くの人が仏事で感じている『苦』がなくなればと思います。
そう語る六尺法師さんの投稿は、冠婚葬祭時の『謎マナー』に悩む人たちの共感を呼び、「ありがとうございます」「僧侶の人が。もっと広めてくださったら大変助かります」と感謝のコメントが続々と寄せられています。
『謎マナー』のように、自分の行動が制限され、かえって窮屈な思いをするようでは本末転倒。
マナーが求められる意味はなんなのか…六尺法師さんの投稿は、改めてその理由を考えるきっかけになったのではないでしょうか。