「パパは1人で生きていけないから」 母を追うように亡くなった父、夫婦の絆 By - grape編集部 公開:2017-12-30 更新:2018-07-25 grapeアワードgrapeアワード授賞作品ニッポン放送夫婦泣ける話 Share Tweet LINE 『夫婦』 7年前に亡くなった両親。 長年がんで闘病した後に自宅で看取った母。 そんな母の四十九日の準備をしている時に、突然倒れて6時間後に亡くなった父。 父と準備した母の四十九日を延期して、夫婦で納骨、四十九日を行ったのがついこの前のように感じます。 当時は、後始末やいろいろな手続き、やることが多くてしばらくの間実感がわかなかった気がします。7年たった今、ことあるごとに思い出す2人の言葉、2人の姿。 がんで闘病していた母に、医者から告げられた余命宣告は伏せていました。それでも、今思うと、母は自分の命が後どのくらいなのか、感じ取っていた気がします。 母が一番気にしていたのは、父のこと。我が家は娘しかいないので、残された父が1人で生きていくことがとても心配だったんだと思います。父の話が出るたびに、母はこう言ってました。 「どんなことがあっても、パパより長生きしなくちゃ。がんばらなくちゃ。1日でも、1時間でもパパより後にいかなくちゃ。それだけを願う。パパが1人になったら、あの人は生きていけない。精神的にボロボロになって、お酒に飲まれ、きっと娘たちに迷惑かける。ママ、がんばらなくちゃ」 そんな父は、『母命』の人でした。独り言でも母の名前を言うくらい、母にぞっこんのまま70歳を超えていました。母が自宅療養になってから、介護は娘たちが交代でつきそいました。 父は近くにいて、手持無沙汰のようでしたが、植木の手入れをするようになりました。庭には花が咲き、水やりをして毎日世話をしていた父。花が枯れたら、また次の花。毎日自転車で植木店にいって花を買い、種をまき、花が途絶えないように手入れをしていました。 「パパってお花好きだったっけ?」 妹が聞いた時、父の答えはこうでした。 「見えるところに花があると、ママが喜ぶから」 亡くなる3日前まで、みんなと普通に話をして、普通に笑っていた母。家族全員が見守る中、息を引き取りました。 その後の父は、母をきちんと見送らなければならないという責任感からか、いつも以上にしゃんとしていました。葬儀の手配、お悔みに訪れてくれる友人やご近所さんの対応。「恥ずかしくない葬儀にしたい」そう言って精一杯のことをしていました。 お通夜と葬儀を終え、四十九日の準備期間だったある朝、姉からの電話で目が覚めました。 「パパが倒れた」 脳内出血。救急で運ばれた病院の医師から、頭の中の半分くらい、もう血でいっぱいだと言われました。手術をするか、このまま自然にするか、選択を迫られました。 両親は『尊厳死』を望み、元気な時からサインをしていたので、自然に任せることにしました。 父のベットに寄り添い、目をつぶる父を見ながら「もう父には感覚はないのですか?」そう尋ねると、医師は「おそらく痛みも何も感じていないと思います」と答えました。 その直後、パッと目を見開き、私の手を握った父。「パパ、トイレに行きたくなっちゃった」と起きようとします。 「今はいけないから後で行こうね」と言ったら、「うん」と答えて眠りにつきました。 そして、そのまま静かに息を引き取りました。 あの当時は、「両親を同時に亡くすなんて…」と思っていましたが、日がたつにつれて思うんです。父と母は、最期まで夫婦だったんだと。 父を連れていったのは、母だと思っています。 父が孤独で寂しい日々を送らないように。娘たちに迷惑かけないように。夫婦で一緒に逝けるように。 母が仕組んだって思っています。 父もまた、母と逝けることが望みだったはず。願いが叶ったんだと思っています。 今私の生きる力になっている母の言葉があります。 「TVでは、幽霊とか亡霊とか、亡くなった後の霊魂を怖いものに扱うことが多いでしょ。 でもさ、もしママが死んで幽霊とか亡霊になったとしても、娘たちが怖がるようなことや、悪いことは絶対にしない。 あなたたちから見えなくても、どうにか力になろうとできることをする。絶対に守ろうとする。だって親だもん」 7年たった今、いつも近くに父と母の夫婦を感じています。 いつでも近くで守ってくれている。 亡くなった後の今も、こうして私に力をくれる存在。 夫婦っていいな。 私も夫より1日でも、1時間でも長生きしたいと思います。 grapeアワード優秀賞受賞『夫婦』 PN:アポロン 『心に響く』エッセイコンテスト『grapeアワード』 grapeは2017年、エッセイを募集するコンテスト『grapeアワード』を開催しました。 応募作品は246本。その中から最優秀賞・1作品、優秀賞・6作品が選ばれました。その他の授賞作品は、下記ページよりご覧いただけます。 grapeアワード授賞作品一覧 出典grape/grapeアワード Share Tweet LINE
『夫婦』
7年前に亡くなった両親。
長年がんで闘病した後に自宅で看取った母。
そんな母の四十九日の準備をしている時に、突然倒れて6時間後に亡くなった父。
父と準備した母の四十九日を延期して、夫婦で納骨、四十九日を行ったのがついこの前のように感じます。
当時は、後始末やいろいろな手続き、やることが多くてしばらくの間実感がわかなかった気がします。7年たった今、ことあるごとに思い出す2人の言葉、2人の姿。
がんで闘病していた母に、医者から告げられた余命宣告は伏せていました。それでも、今思うと、母は自分の命が後どのくらいなのか、感じ取っていた気がします。
母が一番気にしていたのは、父のこと。我が家は娘しかいないので、残された父が1人で生きていくことがとても心配だったんだと思います。父の話が出るたびに、母はこう言ってました。
「どんなことがあっても、パパより長生きしなくちゃ。がんばらなくちゃ。1日でも、1時間でもパパより後にいかなくちゃ。それだけを願う。パパが1人になったら、あの人は生きていけない。精神的にボロボロになって、お酒に飲まれ、きっと娘たちに迷惑かける。ママ、がんばらなくちゃ」
そんな父は、『母命』の人でした。独り言でも母の名前を言うくらい、母にぞっこんのまま70歳を超えていました。母が自宅療養になってから、介護は娘たちが交代でつきそいました。
父は近くにいて、手持無沙汰のようでしたが、植木の手入れをするようになりました。庭には花が咲き、水やりをして毎日世話をしていた父。花が枯れたら、また次の花。毎日自転車で植木店にいって花を買い、種をまき、花が途絶えないように手入れをしていました。
「パパってお花好きだったっけ?」
妹が聞いた時、父の答えはこうでした。
「見えるところに花があると、ママが喜ぶから」
亡くなる3日前まで、みんなと普通に話をして、普通に笑っていた母。家族全員が見守る中、息を引き取りました。
その後の父は、母をきちんと見送らなければならないという責任感からか、いつも以上にしゃんとしていました。葬儀の手配、お悔みに訪れてくれる友人やご近所さんの対応。「恥ずかしくない葬儀にしたい」そう言って精一杯のことをしていました。
お通夜と葬儀を終え、四十九日の準備期間だったある朝、姉からの電話で目が覚めました。
「パパが倒れた」
脳内出血。救急で運ばれた病院の医師から、頭の中の半分くらい、もう血でいっぱいだと言われました。手術をするか、このまま自然にするか、選択を迫られました。
両親は『尊厳死』を望み、元気な時からサインをしていたので、自然に任せることにしました。
父のベットに寄り添い、目をつぶる父を見ながら「もう父には感覚はないのですか?」そう尋ねると、医師は「おそらく痛みも何も感じていないと思います」と答えました。
その直後、パッと目を見開き、私の手を握った父。「パパ、トイレに行きたくなっちゃった」と起きようとします。
「今はいけないから後で行こうね」と言ったら、「うん」と答えて眠りにつきました。
そして、そのまま静かに息を引き取りました。
あの当時は、「両親を同時に亡くすなんて…」と思っていましたが、日がたつにつれて思うんです。父と母は、最期まで夫婦だったんだと。
父を連れていったのは、母だと思っています。
父が孤独で寂しい日々を送らないように。娘たちに迷惑かけないように。夫婦で一緒に逝けるように。
母が仕組んだって思っています。
父もまた、母と逝けることが望みだったはず。願いが叶ったんだと思っています。
今私の生きる力になっている母の言葉があります。
「TVでは、幽霊とか亡霊とか、亡くなった後の霊魂を怖いものに扱うことが多いでしょ。
でもさ、もしママが死んで幽霊とか亡霊になったとしても、娘たちが怖がるようなことや、悪いことは絶対にしない。
あなたたちから見えなくても、どうにか力になろうとできることをする。絶対に守ろうとする。だって親だもん」
7年たった今、いつも近くに父と母の夫婦を感じています。
いつでも近くで守ってくれている。
亡くなった後の今も、こうして私に力をくれる存在。
夫婦っていいな。
私も夫より1日でも、1時間でも長生きしたいと思います。
grapeアワード優秀賞受賞
『夫婦』 PN:アポロン
『心に響く』エッセイコンテスト『grapeアワード』
grapeは2017年、エッセイを募集するコンテスト『grapeアワード』を開催しました。
応募作品は246本。その中から最優秀賞・1作品、優秀賞・6作品が選ばれました。その他の授賞作品は、下記ページよりご覧いただけます。
grapeアワード授賞作品一覧