試着もせず、買わない… カップルが毎日やって来る理由が胸を打つ By - grape編集部 公開:2017-12-30 更新:2018-07-25 grapeアワードgrapeアワード授賞作品いい話ニッポン放送プレゼント百貨店 Share Tweet LINE 『心に響くものは……』 他店舗と、同僚と、過去の自分と。 煌びやかに見えるアパレル販売の裏側は、数字と競争に支配されている。 憧れていた筈のその世界に、私はいつのまにか絶望し、毎日辞める事だけを考えていた。 「いらっしゃいませ」 無意識に口から零れ落ちる自分の役割。其処に心はない。能面の上に笑顔をはりつけてきっと今日も1日を熟すのだ。 私は、接客を楽しむことができなくなっていた。 来店したひと組の男女は、そんな私を見透かすようにこちらを見ようともせず、品定めを始める。 私は接客につかず一歩下がり、ひっそりと様子をうかがった。 レディースブランドばかりがひしめきあうこのフロアで、男性やカップルの客はおいしい。そのほとんどが、プレゼントを買いにきているからだ。 つまり "買う買わない" で悩む女性と違って、買うことが確定している男性やカップルは" 何を買うか" で悩むのである。これほど売りやすい相手はいない。普段なら迷いなく接客につく場面だ。 「こっちは丈が短すぎるし、さっきのは色が派手すぎる」 男性が手に取ったのは数点のワンピース。それを女性に手渡すと、彼女は一着ずつ胸にあてては、一言、二言難癖をつけ、試着することもなく棚に戻した。 彼等はここ一週間、毎日この時間にあらわれては、同じように商品を見て回り、何も買わずに帰っていくことを繰り返していた。私が接客につくことを渋ったのは、これが理由だ。 ーーどうせ今日も買わないだろう。 冷やかしに付き合う程、私の心に余裕はなかった。しかし、耳に飛び込んできた女性の言葉に、私は思わず顔をあげる。 「これも丈が短い。こんなに足、ださないよ」 すらりとのびる女性の足は、真夏のビーチがよく似合うようなホットパンツを見事に履きこなしていたのだ。大胆な露出には慣れている筈なのに、何故今更スカート丈など気にするのだろうか。 「そんなに隠す必要あるか?俺は短い方が逆にいいと思うよ」 此処に通い続けて一週間。気まぐれや気晴らしにしては、2人の表情はあまりに真剣だ。なんだか鬼気迫るものを感じ、私は思わず声をかけた。 「何かお探しのものがあれば、提案致しますが……」 「ワンピース。年配の人でも着れるような、派手すぎないやつ。でもちゃんも余所行きで、地味すぎないやつ。ありますか?」 年配の……?つまり贈り物ということだろうか。 「それでしたらこのあたりですが、お色味等の希望はございますか?」 それはきっと、興味本位だったのだろう。一週間も探し続ける贈り物の正体を、心から知りたくなったのだ。 叶うなら、それを自分の手で提案したい。真剣な2人の要望に応えたいと、そう思った。 心の奥に仕舞い込んでいた"販売員魂"に火がつく瞬間を、私は確かに感じていた。 それから私は時間をかけ、休憩をとることすら忘れ、希望に添えるものはないかと凡ゆる商品を説明した。 しかし、カップルは首を縦に振らない。 「もっとウキウキするような、外出したくなるような服はありませんか」 女性のその言葉が一際大きく響いたのは、彼女の心のボリューム量だったのかも知れない。 「お客様の希望とは違ってしまうのですが……」 私が提案したのは希望のワンピースではなく、上品なベージュの帽子だった。 「おしゃれは自信になり、力になり、心を豊かにします。外でしか使うことのできない宝物があれば、きっと外にでたくなるんじゃないでしょうか」 その帽子をみた2人は、目を丸くし、顔を見合わせる。男性は目に涙をため、静かに下を向いた。 「すみません。そんなふうに考えてくれたのは店員さんがはじめてで……」 はじめきく、彼女の穏やかな声だった。 「実は私達の母が最近大きな手術をして、車椅子になったんです。歳が歳だから本人はもう人生をあきらめて、歩く練習もしない。だから来週の誕生日に、外に出たくなるようなプレゼントを……って、兄と毎日探しにきてたんです。だけど、ピンとくるものにずっと出会えなくて……」 脳天を、ぶん殴られたような衝撃だった。 私は一体今まで何をしていたのだろう。何に悩み、何故この仕事を辞めたいと思っていたのだろうか。 接客が、好きだった。商品を通して、その人の人生に触れる瞬間が好きだった。提案した服が、誰かの幸せの役に立つ瞬間を夢見ていた。 「そういったご事情でしたら、靴や傘なんかもいいかもしれません」 私はブランドの枠さえ超えて、夢中で提案をした。2人は目に涙を溜めながら笑い、その全てを買った。 「本当は家に帰ってからこっそり入れようと思ったんですけど、これ袋に入れておいてくれますか」 会計時手渡されたのは、暖かい言葉の詰まった寄せ書きと、嘘のない笑顔に溢れた家族写真だった。 人の心に響くものは、きっと人の心だけなのだろう。 私はこの兄弟が、母親が、この後どうなったのか知らない。 しかし心から言うことができる。 接客を、初心を、私の心を思い出させてくれて「ありがとうございました」と。 grapeアワード優秀賞受賞『心に響くものは……』 PN:水多(みずた) 『心に響く』エッセイコンテスト『grapeアワード』 grapeは2017年、エッセイを募集するコンテスト『grapeアワード』を開催しました。 応募作品は246本。その中から最優秀賞・1作品、優秀賞・6作品が選ばれました。その他の授賞作品は、下記ページよりご覧いただけます。 grapeアワード授賞作品一覧 出典grape/grapeアワード Share Tweet LINE
『心に響くものは……』
他店舗と、同僚と、過去の自分と。
煌びやかに見えるアパレル販売の裏側は、数字と競争に支配されている。
憧れていた筈のその世界に、私はいつのまにか絶望し、毎日辞める事だけを考えていた。
「いらっしゃいませ」
無意識に口から零れ落ちる自分の役割。其処に心はない。能面の上に笑顔をはりつけてきっと今日も1日を熟すのだ。
私は、接客を楽しむことができなくなっていた。
来店したひと組の男女は、そんな私を見透かすようにこちらを見ようともせず、品定めを始める。
私は接客につかず一歩下がり、ひっそりと様子をうかがった。
レディースブランドばかりがひしめきあうこのフロアで、男性やカップルの客はおいしい。そのほとんどが、プレゼントを買いにきているからだ。
つまり "買う買わない" で悩む女性と違って、買うことが確定している男性やカップルは" 何を買うか" で悩むのである。これほど売りやすい相手はいない。普段なら迷いなく接客につく場面だ。
「こっちは丈が短すぎるし、さっきのは色が派手すぎる」
男性が手に取ったのは数点のワンピース。それを女性に手渡すと、彼女は一着ずつ胸にあてては、一言、二言難癖をつけ、試着することもなく棚に戻した。
彼等はここ一週間、毎日この時間にあらわれては、同じように商品を見て回り、何も買わずに帰っていくことを繰り返していた。私が接客につくことを渋ったのは、これが理由だ。
ーーどうせ今日も買わないだろう。
冷やかしに付き合う程、私の心に余裕はなかった。しかし、耳に飛び込んできた女性の言葉に、私は思わず顔をあげる。
「これも丈が短い。こんなに足、ださないよ」
すらりとのびる女性の足は、真夏のビーチがよく似合うようなホットパンツを見事に履きこなしていたのだ。大胆な露出には慣れている筈なのに、何故今更スカート丈など気にするのだろうか。
「そんなに隠す必要あるか?俺は短い方が逆にいいと思うよ」
此処に通い続けて一週間。気まぐれや気晴らしにしては、2人の表情はあまりに真剣だ。なんだか鬼気迫るものを感じ、私は思わず声をかけた。
「何かお探しのものがあれば、提案致しますが……」
「ワンピース。年配の人でも着れるような、派手すぎないやつ。でもちゃんも余所行きで、地味すぎないやつ。ありますか?」
年配の……?
つまり贈り物ということだろうか。
「それでしたらこのあたりですが、お色味等の希望はございますか?」
それはきっと、興味本位だったのだろう。一週間も探し続ける贈り物の正体を、心から知りたくなったのだ。
叶うなら、それを自分の手で提案したい。真剣な2人の要望に応えたいと、そう思った。
心の奥に仕舞い込んでいた"販売員魂"に火がつく瞬間を、私は確かに感じていた。
それから私は時間をかけ、休憩をとることすら忘れ、希望に添えるものはないかと凡ゆる商品を説明した。
しかし、カップルは首を縦に振らない。
「もっとウキウキするような、外出したくなるような服はありませんか」
女性のその言葉が一際大きく響いたのは、彼女の心のボリューム量だったのかも知れない。
「お客様の希望とは違ってしまうのですが……」
私が提案したのは希望のワンピースではなく、上品なベージュの帽子だった。
「おしゃれは自信になり、力になり、心を豊かにします。外でしか使うことのできない宝物があれば、きっと外にでたくなるんじゃないでしょうか」
その帽子をみた2人は、目を丸くし、顔を見合わせる。男性は目に涙をため、静かに下を向いた。
「すみません。そんなふうに考えてくれたのは店員さんがはじめてで……」
はじめきく、彼女の穏やかな声だった。
「実は私達の母が最近大きな手術をして、車椅子になったんです。歳が歳だから本人はもう人生をあきらめて、歩く練習もしない。だから来週の誕生日に、外に出たくなるようなプレゼントを……って、兄と毎日探しにきてたんです。だけど、ピンとくるものにずっと出会えなくて……」
脳天を、ぶん殴られたような衝撃だった。
私は一体今まで何をしていたのだろう。何に悩み、何故この仕事を辞めたいと思っていたのだろうか。
接客が、好きだった。商品を通して、その人の人生に触れる瞬間が好きだった。提案した服が、誰かの幸せの役に立つ瞬間を夢見ていた。
「そういったご事情でしたら、靴や傘なんかもいいかもしれません」
私はブランドの枠さえ超えて、夢中で提案をした。2人は目に涙を溜めながら笑い、その全てを買った。
「本当は家に帰ってからこっそり入れようと思ったんですけど、これ袋に入れておいてくれますか」
会計時手渡されたのは、暖かい言葉の詰まった寄せ書きと、嘘のない笑顔に溢れた家族写真だった。
人の心に響くものは、きっと人の心だけなのだろう。
私はこの兄弟が、母親が、この後どうなったのか知らない。
しかし心から言うことができる。
接客を、初心を、私の心を思い出させてくれて「ありがとうございました」と。
grapeアワード優秀賞受賞
『心に響くものは……』 PN:水多(みずた)
『心に響く』エッセイコンテスト『grapeアワード』
grapeは2017年、エッセイを募集するコンテスト『grapeアワード』を開催しました。
応募作品は246本。その中から最優秀賞・1作品、優秀賞・6作品が選ばれました。その他の授賞作品は、下記ページよりご覧いただけます。
grapeアワード授賞作品一覧