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見るも無残な姿になった、1台のパトカー 真相を知って涙

By - grape編集部  公開:  更新:

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福島県双葉郡にある双葉警察署を訪れた、Tkn@604(@OJbQuWZebEyXcOS)さん。

その日撮影した写真をTwitterに投稿すると、多くの人が涙を流しました。

警察署に置かれた、見るも無残な姿になったパトカー

投稿者さんがこの場所を訪れたのは、理由がありました。それは、警察署に置かれている1台のパトカーにお供え物をするためでした。

もはや原型が分からないほど、車体が大きく潰れているパトカー。そして、傍にはたくさんの花やお供え物が置かれています。

パトカーについて書かれた看板には、このようにつづられています。

震災遺産 津波被災パトロールカー

そう…このパトカーは、2011年に起こった東日本大震災によって、このような姿になってしまったのです。

住民を守るため、最期までパトロールを続けた警察官

看板によると、2011年3月11日、このパトカーには増子洋一警視(当時41歳)と佐藤雄太警部補(当時24歳)の2人が乗車していました。

大地震が発生した直後、住民に避難を呼びかけるため、双葉郡の富岡町仏浜地内を走りまわっていたのです。

そんな中、津波の脅威が彼らに襲いかかりました。

押し寄せる津波から逃げることはできず、パトカーは激しい力によって流されていきました。

1か月後、陸地から30km離れた沖合で増子警視の遺体が発見されました。佐藤警部補は未だ、行方不明のままです。

無残な姿で発見されたパトカーに手を合わせるため、多くの人が警察署に訪れるようになりました。

やがて福島県警察は、町民や遺族と協力し、後世に伝えることを目的として、警察署にこのパトカーを設置することにしたのです。

傍に立てられた看板には、このように書かれています。

このパトカーは、震災直後の初動対応として津波が近づく緊迫した時間の中、使命感と勇気を胸に多くの住民を守るために職務を全うした人たちがいたこと、そして平穏な町をおそった地震や津波の威力のすさまじさを示すものであり、東日本大震災を象徴する歴史的な資料として貴重なものです。

津波の脅威をその身に刻んだ車体を見ていると、あまりの恐ろしさに身体が震えてしまいます。ですが、これが福島県を襲った現実なのです。

1人でも多くの住民を守るため、危険な状況でも呼びかけを続けた2人の警察官。彼らの行動によって、きっと多くの人が救われたことでしょう。

増子警視と佐藤警部補の勇敢な行動に、心から敬意を表します。本当に、ありがとうございました。

出典
grape@OJbQuWZebEyXcOS

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