野村克也さん亡くなる 多くの人に愛された『名将』の訃報に悲しみの声 By - grape編集部 公開:2020-02-12 更新:2020-02-12 訃報野村克也 Share Tweet LINE プロ野球チームのヤクルト、阪神、東北楽天の元監督で野球評論家の野村克也さんが、2020年2月11日、亡くなったことが分かりました。84歳でした。 同日放送の情報番組『グッとラック!』(TBS系)では、速報扱いで野村さんの死を報じており、突然の訃報に視聴者やファンからは驚きと悲しみの声が寄せられています。 ・まだまだ元気そうだったのに…。ご冥福をお祈りします。 ・ノムさんの『ぼやき』がもう聞けないと思うと悲しい。 ・ノムさんほど『名将』という言葉が似合う人はいない。 野村さんは、1954年に南海ホークスにテスト生として入団。レギュラー定着後1965年には、戦後初の三冠王に輝くなど、南海ホークスの黄金期を支えた1人でした。 1970年からは選手兼監督となり、1973年にはチームを優勝に導くなど、監督としての手腕も発揮しました。 さらにヤクルトの監督を務めていた1992年にはチームをリーグ優勝に導き、1993年、1995年、1997年は、日本一にも輝いています。 現役時代はもちろん監督としても華々しい活躍を見せ、プライベートでは、故・野村沙知代さんとのおしどり夫婦ぶりや『ぼやき節』など、話題にことかかなかった野村さん。 その人柄で多くの人々に愛された名将の死は、プロ野球業界のみならず、各方面に衝撃を与えています。ご冥福をお祈りいたします。 出典grape Share Tweet LINE
プロ野球チームのヤクルト、阪神、東北楽天の元監督で野球評論家の野村克也さんが、2020年2月11日、亡くなったことが分かりました。84歳でした。
同日放送の情報番組『グッとラック!』(TBS系)では、速報扱いで野村さんの死を報じており、突然の訃報に視聴者やファンからは驚きと悲しみの声が寄せられています。
・まだまだ元気そうだったのに…。ご冥福をお祈りします。
・ノムさんの『ぼやき』がもう聞けないと思うと悲しい。
・ノムさんほど『名将』という言葉が似合う人はいない。
野村さんは、1954年に南海ホークスにテスト生として入団。レギュラー定着後1965年には、戦後初の三冠王に輝くなど、南海ホークスの黄金期を支えた1人でした。
1970年からは選手兼監督となり、1973年にはチームを優勝に導くなど、監督としての手腕も発揮しました。
さらにヤクルトの監督を務めていた1992年にはチームをリーグ優勝に導き、1993年、1995年、1997年は、日本一にも輝いています。
現役時代はもちろん監督としても華々しい活躍を見せ、プライベートでは、故・野村沙知代さんとのおしどり夫婦ぶりや『ぼやき節』など、話題にことかかなかった野村さん。
その人柄で多くの人々に愛された名将の死は、プロ野球業界のみならず、各方面に衝撃を与えています。ご冥福をお祈りいたします。