もし原爆投下当時にSNSがあったら… 日記を元にした投稿に胸が締め付けられる By - grape編集部 公開:2020-08-09 更新:2020-08-09 Twitter原爆広島 Share Tweet LINE ※写真はイメージ 多くの人が戦い、心身が傷付けられたり命を奪われたりする戦争。2020年現在も、世界のどこかで戦いが繰り広げられています。 日本は第二次世界大戦で深い傷を負い、尊い多くの命を失いました。私たちは歴史から戦争の悲しさを学び、平和な日常を守らなくてはなりません。 第二次世界大戦末期である1945年には、広島県と長崎県に核兵器が投下。数日後に日本は終戦となりました。 もし、広島の原爆投下時にSNSがあったら… 1945年8月6日は、『原爆の日』です。今から75年前の8時15分、アメリカ軍が世界で初めて核兵器を使い、広島県に落としました。 NHKは、「もし、75年前にSNSがあったら…」というアイディアを元に、3つのTwitterアカウントを作成。 当時、広島市に住んでいた3人の日記を元に、『シュンくん』『やすこさん』『一郎さん』のツイートをリアルタイムで更新しています。 中学1年生・シュンくん 昭和六年山形県生まれ、八歳より廣島で過ごす十三歳。廣島高等師範学校附属中学校一年北組の副級長。七月二十日から、母、父の暮らす廣島市を離れ、賀茂郡原村に農村出動中。北組の皆と教順寺にて共同生活をしている。よく絵を描き、時には漫画を描く。#ひろしまタイムライン #広島 — シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 4, 2020 妊娠中の主婦・やすこさん 26歳主婦,結婚2年目,初めての妊娠中女子学習院卒,東京大久保生まれ→結婚で京都左京区→廣島の緑井(夫の実家)に疎開中。軍医の夫つぐおは福岡の折尾に出征。絵を描くことや刺繍が好き、甘いものも好き。宝物は7歳から続ける日記。毎日を丁寧に。日々の記録をつづっています。#ひろしまタイムライン — やすこ@ひろしまタイムライン (@nhk_1945yasuko) July 31, 2020 新聞記者・一郎さん 中国新聞記者。廣島県庁等で地方行政および軍政を取材。六月、大手町から府中町へ疎開。妻と義姉と三人暮らし。趣味はクラシック鑑賞、俳句。ただ最近は句を詠む気持ちになれない。 記者として世の中を冷静に見ているつもりだが、時にはひと言物申したくなることも…。 #ひろしまタイムライン pic.twitter.com/rnQKkVJuEe — 一郎@ひろしまタイムライン (@nhk_1945ichiro) June 14, 2020 原爆投下当日の投稿も、リアルタイムで更新 広島県に原爆が投下された8時15分以降も、3人のアカウントはツイートを続けています。 帰省のために広島市に戻ろうとしていたところ、寝坊して難を逃れたシュンくん。妊娠中でありながら、負傷者のために治療を手伝うやすこさん。ジャーナリストとして広島の街に繰り出した一郎さん。 3人は今後もツイートを更新していくことでしょう。 【1945年8月6日】 ああ…なんで、どうして どうしたんです、廣島で何があったんです 聞きたいが聞けない。怖い。聞けない。 ああ。こんな中を僕たちだけが、無傷で行くのか#ひろしまタイムライン #広島#もし75年前にSNSがあったら — シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020 【1945年8月6日】 トラックには人、人、人。二十名ほどでしょうか。…中に一人だけ、傷のなさそうな少年がいたけれど、すぐに気が狂ったように暴れて死んでしまった。廣島でいま なにがおこってるの…?#ひろしまタイムライン #広島#もし75年前にSNSがあったら — やすこ@ひろしまタイムライン (@nhk_1945yasuko) August 6, 2020 【1945年8月6日】 「アメリカがガソリンまきよった」 「ガスタンクか弾薬庫がやられた」みな言いあっている 市内に行かなければ取材しなければ。間違いない、大変なことが起きている。とんでもないことが。#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら — 一郎@ひろしまタイムライン (@nhk_1945ichiro) August 5, 2020 投稿は75年前の日記を元にしたものであり、彼らの未来を変えることはできません。 しかし、投稿を見守る多くの人が3人に対し「生き延びてほしい」「なんとか逃げて」「助けてあげたい」といった声を寄せています。 リアルタイムに更新されることによって、原爆が投下された当時を疑似体験できるこの企画。3人の投稿を読んで、あなたは何を思いますか。 出典grape/@nhk_1945shun/@nhk_1945yasuko/@nhk_1945ichiro Share Tweet LINE
多くの人が戦い、心身が傷付けられたり命を奪われたりする戦争。2020年現在も、世界のどこかで戦いが繰り広げられています。
日本は第二次世界大戦で深い傷を負い、尊い多くの命を失いました。私たちは歴史から戦争の悲しさを学び、平和な日常を守らなくてはなりません。
第二次世界大戦末期である1945年には、広島県と長崎県に核兵器が投下。数日後に日本は終戦となりました。
もし、広島の原爆投下時にSNSがあったら…
1945年8月6日は、『原爆の日』です。今から75年前の8時15分、アメリカ軍が世界で初めて核兵器を使い、広島県に落としました。
NHKは、「もし、75年前にSNSがあったら…」というアイディアを元に、3つのTwitterアカウントを作成。
当時、広島市に住んでいた3人の日記を元に、『シュンくん』『やすこさん』『一郎さん』のツイートをリアルタイムで更新しています。
中学1年生・シュンくん
妊娠中の主婦・やすこさん
新聞記者・一郎さん
原爆投下当日の投稿も、リアルタイムで更新
広島県に原爆が投下された8時15分以降も、3人のアカウントはツイートを続けています。
帰省のために広島市に戻ろうとしていたところ、寝坊して難を逃れたシュンくん。妊娠中でありながら、負傷者のために治療を手伝うやすこさん。ジャーナリストとして広島の街に繰り出した一郎さん。
3人は今後もツイートを更新していくことでしょう。
投稿は75年前の日記を元にしたものであり、彼らの未来を変えることはできません。
しかし、投稿を見守る多くの人が3人に対し「生き延びてほしい」「なんとか逃げて」「助けてあげたい」といった声を寄せています。
リアルタイムに更新されることによって、原爆が投下された当時を疑似体験できるこの企画。3人の投稿を読んで、あなたは何を思いますか。